雨のシーズンだ。ただ、昔は梅雨はシトシトと降ったが、最近は昔、学校の英語のリーダーに載っていた「降れば土砂降り」が多くなった。まるでスコールである。温暖化のためミカンの産地が北上し、以前ミカンどころであった愛媛などが苦戦中と聞く。海外でもふらんすのワイン葡萄(ぶどう)の質が落ち、ドーバー海峡を渡ってイギリス南部で葡萄の栽培をするようになったらしい。
「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」というエッセイがあった。それにならって今回のタイトルをつけた。本歌の作者は植草甚一(1908〜1979)という評論家である。ジャズ、アメリカ文学、映画に造詣が深く江戸っ子らしい洒脱なエッセイを多くものにした。今どれくらいの人たちの記憶にあるか推測がつかないが、一部の愛好家の間で信仰を集め古書のネット検索でも1,000件以上ヒットするので、限界を超えすべてを表示しない。「植草甚一スクラップブック」というタイトルの全40巻からなる全集原油のように値上がりを続け、以前神田の古書街で見かけたときは全冊揃いで数10万円の値段がついていた。
このブログの#2に書いた米田先生の「アメリカン・フットボールの起源とその発展段階」を再読した。第2章の6に「大学対抗フットボールの創始」という項がある。#1で紹介した1869年のラトガーズ大学とプリンストン大学の大学対抗戦のことが書かれておりこのゲームの詳細が残っている。フットボールにとって幸いなことに同じ年の年初にラトガーズ大学の大学新聞である“The Targum”が創刊され、記念すべきこのゲームの観戦記が残ることになった。このサイトの項目「部史」の中に以前紹介したように上記の論文が掲載されておりそのあらましを読むことができる。
アメリカは1865年に南北戦争が終った。1848年にカリフォルニアで起こったゴールド・ラッシュが引き金となって大西洋側にあった原型としてのアメリカが太平洋側に東進するきっかけとなった。この一連の騒動は1850年代まで続き、1849年にピークに達し、NFLのサンフランシスコのチームに“forty-niners”(49ers)”というニックネームを残した。日本人でも土佐出身で漂流してアメリカにあったジョン万次郎がこれに参加している。また人々が押しかけこの地域の人口爆発が起こったので1852年にカリフォルニアは州になってしまった。
金と戦争という人の本性によってアメリカは徐々にひとつになっていった。象徴的できごととして、1869年にユニオン・パシフィックすなわち大陸横断鉄道が開通した。人の行き来がさらに活発になりスポーツもその影響を受けた。それまで大学校内に留まっていたフットボールが大学対抗になった。つけくわえればアメリカは映画「不都合な真実」のアル・ゴアの父が推進した「インター・ステイツ・ハイウェイ」(州間高速道路)とゴアの提唱した「インターネット」により、この広大な地域をひとつにして行った。
「大学対抗フットボールの創始」には観客がおよそ200名と書かれている。この時,ラトガーズ大学には10数人の日本人留学生がいたのでだれか記念すべきフットボールのオリジナル・ゲームを観戦した可能性がある。このことについてはいずれ触れたいと思っている。
Rutgersの発音は難しい。あえてカタカナ表記すれば「ラッガーズ」らしい。本、論文を見ると「ラトガース」、「ラトガーズ」などさまざまある。この稿は「ニューズウィーク」の日本語版にならい「ラトガーズ」とした。
2008年07月02日
#12 雨降りだからフットボールでも勉強しよう
posted by 日本アメリカンフットボール史 at 00:01| 記事