2008年06月25日

#11 神戸ボウル3

 前回、星陵高校側から見た神戸ボウルのことを扱った。今回は兵庫高校側からのことがらに触れたい。それにあたってはマキショウ、タック牧田すなわち牧田隆さんが1990年、「アメリカンフットボール・マガジン」に「神戸ボウル物語」というタイトルでA4版2ページの詳しい記事を書かれている。現在この雑誌の入手は難しいのでその記事をダイジェストして掲載させていただく。< >かっこ内は筆者注。

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「皮をむきかけた蜜柑〈みかん〉のようなボール」

昭和20年代は終戦直後で、軍服のアメリカ兵を日本各地で見かけることができた<その一人がピーター岡田やオダノ>。アメリカ軍のキャンプの金網越しにフットボールの練習を見ることができた。京都大学のフットボール・チームのベンチでは軍服姿のアメリカ人将校が英語でコーチしていた。

 「おれもあれをやってみたい」と願う少数の高校生が兵庫高校と星陵高校にいた。この2校の幸運は星陵のリーダー米田豊の長兄が米田満であったことである。また、満は兵庫高校の前身の神戸二中の卒業生であった。星陵にはすざましくオンボロのボールがひとつあった。皮をむきかけた蜜柑のようなボールだった。一方兵庫がとぼしい小遣いを集めて買ったボールは玩具の様なもので、蹴るとボコンと鳴った。同校はラグビーの名門だったのでラグビーボールでパスの練習をした。サイドスローでフォワード・パスを投げられる者がパサーになった。これらの仲間4名が関学大に入学した。フットボール部のない大学に進学した者、入試に失敗した者達は彼らをうらやましがった。当時の高校はタッチフットボールであった。両校の連合チームで関学高等部に挑戦したのが唯一の試合経験だった。

「防具調達が試合日決定の根拠だった」

 新人のシーズンが終って米田豊と牧田は両校の仲間達のためにゲームを実現したいと願った。防具を借りられるのは関学の練習が休みの正月だけであった。
 防具は星陵、グランドは兵庫がそれぞれ担当した。正月は公立高校のグランドが借りられないため、私立の村野工業高校のグランドを借りた。これが第1回神戸ボウルである。大晦日の午後、豪雨の中、牧田、米田、平井の3名は石灰でラインを引いた。

 兵庫高校はその前身、神戸二中を含め次のようなフットボールの関係者を生んでいる。三浦清(同志社大学、関西アメリカンフットボール協会会長、故人)、前記の米田満、堂本猛(当時関大主将)、牧田の後輩、井上透(関大主将)、松浦(関学)。星陵は、関学に進学した平岡敏彦(米田豊の次の主将)、米田正勝<米田兄弟の三男>、林武恒(関大主将)が続き、現在も部が存続している。試合は堂本が大学4年生の実力を見せて、泥田を独走しエンド・ゾーンとおぼしきあたりまで到達したが、ボールを高らかに片手で差し上げ、ファンブルしタッチダウンならず。結果は後藤俊明(法政大)がタッチダウンし、全星陵6、全兵庫0のスコアーだった。ゲームが終っても着替えることもできなかったので<当時、高校にシャワーなどなかったし、おそらく水道も勝手には使えなかった>粋人高校生、井上透の案で連れ込み宿でなんとか風呂場を使わせてもらい、入浴料つきご同伴、ご休憩料金をはらわせられた。

「ひと芝居打ってくれたアメリカ領事」

 1953年1月4日の第2回は不思議な才能をもった前田秀男という元先輩の同級生が、当時神戸外人クラブが使っていた東遊園地グランド<位置は現在の神戸市役所南側の東遊園地公園だがこのときのグランドはなく、公園になっている>が使用可能となった。正式な許可でなく日本人管理者にひそかに礼金を渡しての使用だった。前田氏と前記三浦先輩の尽力でこの年から神戸新聞社後援になった。三浦清の弟の三浦保の仲介で優勝楯らしきものができたが授賞式が済むと新聞社に持ち帰られたようであった。

 この年のゲームは、高校生現役同士と両校OBの2ゲームだった。兵庫高校7−6星陵高校、兵庫OB10−14星陵OB。英語に強い三浦先輩がアメリカ領事を口説き、急遽MVP杯を出してもらうことになった。使いが新聞社に走った。「絶対に返してくれよ」の約束で領事からこのMVP杯が牧田隆に手渡された。領事が握手を求めた。当時外人と握手するのは大変な出来事だった。領事は「オカシイネ、コレハ エイガ コンクールノ ショウ ラシイデスネ」と小声でいった。ありあわせで借りた楯は「なんとか映画コンクール」の賞だった。領事は日本語が読めて、それでも一芝居打ってくれた。牧田が頭を下げ賞を受け取る写真を撮ったあと、楯は前田が返しに行った。

 同年、兵庫高校のフットボール部は廃部となった。ラグビー名門校であったため有能選手の分散を避けるためであった。神戸ボウルは歴史の中で関西協会に移管されたが、星陵高校OBは平成元年<この記事が書かれた前年>よりポートボウルと称して懐かしいゲームを復活した。<神戸ボウルは移動祝祭日のように開催日が変わり、再来年、還暦を迎える>
posted by 日本アメリカンフットボール史 at 01:54| 記事